ネコだけど羊。

しゃみです。ピアノ演奏動画や楽譜の作成、また詩や曲の解説記事を書いています。

わをんレパ研② wade in the water

どうもどうも。しゃみこと、わをんテナーの某です。 Spiritualのレパ研第二弾をお送りします。

あくまでも、曲の背景を知る一つの切り口としてご覧頂ければと。 マエストロと違った考え方をしている場合もあるかもしれません。あくまでも一個人の、非公式の、チラシの裏のようなものです。

②Wade in the water

Wade in the water, wade in the water, children Wade in the water, God's gonna trouble the waterSee that band all dressed in white, God's gonna trouble the water The leader looks like the Israelite, God's gonna trouble the waterWade in the water, wade in the water, children Wade in the water, God's gonna trouble the water See that band all dressed in red, God's gonna trouble the water It looks like the band that Moses led, God's gonna trouble the water (現代英語に書き改め) 水の中を行け、水の中を歩くんだ、神の子らよ 水の中を行け、じきに神様が水を乱してくださる白い服の人々を御覧なさい じきに神様が水を乱してくださる あの群れを率いるのはイスラエル人のようだ じきに神様が水を乱してくださる水の中を行け、水の中を歩くんだ、神の子らよ 水の中を行け、じきに神様が水を乱してくださる 赤い服の人々を御覧なさい じきに神様が水を乱してくださる あの群れを率いるのはモーセのようだ じきに神様が水を乱してくださる

(私訳)

はじめに

他の曲に比べて有名なので、解説の文献・記事は手に入りやすいです(でも日本語の記事は無いですなあ…)。 以下の文章は、C. Michael Hawn氏(米国メソジスト教会Perkins神学校, 宗教音楽プログラム主任 )による記事の日本語訳です。 https://www.umcdiscipleship.org/resources/history-of-hymns-wade-in-the-water

Spiritualと「水」のイメージ

「水」はアフリカ系アメリカ人のSpiritualsにとって重要なイメージなのです。"Deep River"は川の向こう岸の世界に希望を見ている曲だし、“Go Down, Moses”もファラオ王の軍が海に沈んだことで、奴隷たちが開放されたことを歌った曲です。 黒人奴隷は奴隷船に乗って連行されていきました。よって、(アメリカを東西に流れる広大な)オハイオ川は、彼らにとって奴隷制と自由の境界線でした。その黒人たち自身の経験から、「水」からは奴隷と自由(解放)に関するイメージが連想されるのです。

読み書きのできない奴隷とSpiritualsの関係

Spiritualsには聖書の物語が出てきます。アフリカ系アメリカ人の学者 Yolanda Y. Smith氏は以下のように述べています。「奴隷にとって、Spiritualsによって聖書の物語を歌うことは、自分たちの文化や歴史を教育的に口承する機会だったのです。黒人奴隷たちは奴隷制のもとで読み書きを学ぶことを禁じられたので、聖書やその他のかけがえのない書物を読むことができませんでした。そこで彼らは、日の出から日没までの過酷な労働の傍ら、小屋のすみでひっそりと礼拝を行っていました。そうはいっても聖書を読むことはできません。そこでSpiritualsは、彼らにとって唯一の、神様と対話ができる(繋がれる)ツールだったのです。彼らはSpiritualsという音楽を通して、聖書の教え:信仰、愛、神の憐れみ、神の恵み、正義、公正、死、そして永遠の命、を知ったのです」

(出典:Yolanda Y. Smith, “The Bible in Song: Reclaiming African American Spirituals” in Yale University Reflections

Wade in the Waterの意味

繰り返されるWade in the Waterという言葉の背景、一つはヨハネによる福音書5章2〜9節のストーリーに関係しています。

さて,エルサレムには,羊門のそばに,ヘブライ語で「ベテスダ」と呼ばれる,五つの回廊のある池がある。そこには,水の動くのを待って,病気の人,目の見えない人,足の不自由な人,体のまひした人からなる大群衆が横たわっていた。というのは,のみ使いが時々池に下りて来て,水をかき乱すからであった。水がかき乱された後で最初に入る者はだれでも,どんな病気にかかっていても健康にされたのである。そこにある人がいたが,彼は三十八年の間,病気であった。イエスは,その人がそこに横たわっているのを目にし,彼が長い間病気であったことを知ると,「良くなりたいか」と彼に言った。 病気の人は答えた,「だんな様,わたしには水がかき乱される時,池に入れてくれる人がいません。そして,わたしが行っている間に,ほかの人が先に降りてしまうのです」。 イエスは彼に言った,「起き上がって,寝床を取り上げて歩きなさい」。 すぐにその人は良くなり,寝床を取り上げて歩いた。ところで,その日は安息日であった。

ここに書いてあるように、かき乱された水(touble the water)は体と魂の癒やしの意味が含まれていると思われます。

また、ここには、もう一つの聖書のストーリーがあります。出エジプト記14章21〜31節の、モーセの一軍が紅海を渡るシーンです。

モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。 戦車の車輪をはずし、進みにくくされた。エジプト人は言った。「イスラエルの前から退却しよう。主が彼らのためにエジプトと戦っておられる。」主はモーセに言われた。「海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。」モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。 水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。

(訳者補足:ユダヤ民族は約400年にわたってエジプトに囚われていました。ある日、神がユダヤ民族のリーダーであるモーセに、海の方に行きなさいと語ります。エジプト軍はユダヤ民族を追っかけて襲いかかろうとしますが、モーセは落ち着いて「今日、あなたたちのために行なわれる主の救いを見なさい」と言います。すると神はモーセにこう語りました。「手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば海の中の乾いたところを通ることができる」「しかしエジプト人はお前たちの後を追ってくる。そのとき私はファラオとその全軍を破って栄光を示す」。そして、神の言葉の通りになりました。)

これは聖書に出てくる「解放の物語」の中でも最も古いものの一つです。

Hogan版 Wade in the Waterを歌うにあたり

(ここから先は僕の勝手な解釈です。あしからず)

上記のエジプト脱出の物語は、クリスチャンじゃなくても知っている人は少なからずいるのではないでしょうか。余談ですが、この海が割れた奇跡はともかく、ユダヤ人が紀元前1400〜1200年にエジプトを脱出したことは考古学的にほぼ事実だと考えられているのですと。へえー。

いくら神が奇跡を起こして海を割ったとしても、その中を渡るのは怖いに違いないと思うのです。聖書によれば、海が割れる直前まで、その場にいたユダヤ人たちは、海まで出てきたことを後悔し、リーダーであるモーセに不満を言います。モーセのことも、その神のお告げのことも、信じていなかったのですね。 だから海が割れても、歩いている最中は疑心暗鬼というか、自分たちが無事に渡りきれるなんてまだ信じきれていなかったと思うのですよ。 Chorusパートの"wade in the water…“のリフレインは、そんな民衆の不安な気持ちがよく現れていると思います。

一方で、モーセだけは神を信じています。ソロパートはまさにモーセの言葉、そんな気がしますね。

1/31追記 ソロパートはモーセの言葉というのは変ですね。「あそこをご覧。あれはモーセの一団だな」と自分で自分のことを言いませんよね。 一番近いイメージとしては、バッハの受難曲に出てくる、いわゆる「福音書家」でしょうか。物語の内側でなく、外側から聖書のストーリーを朗々と語っているイメージ。

God’s gonna trouble the waterは、一般的には「神が水を乱してエジプト軍を滅ぼすから、私たちはもうすぐ奴隷から開放されるのだ」というように解釈するのが一般的かと思います。 ですが、ヨハネ5章に出てくる、troubled waterには神の癒やしの力があるという視点も面白いですね。この解釈も聖書的には間違いではないし、この体と魂の癒やしのイメージに共鳴した黒人奴隷もいたのではないか、と考える余地もある気がしますね。

※日本語のblog記事だと、「奴隷たちが水の中を歩くと、臭いが消える。よって追っ手から逃れられる」という解説をよく見るのですが、ソースがちと分かりません。近年発売されたゴスペルCDの解説にでも書かれているのかな。とりあえず聖書のストーリーとは関係ありません。