ネコだけど羊。

しゃみです。ピアノ演奏動画や楽譜の作成、また詩や曲の解説記事を書いています。

わをんレパ研④ I can tell the world

どうも、しゃみです。

Spiritualレパ研シリーズもこれにて一区切り。 あ、どうでもいいけど「レパ研」って僕の所属していた大学合唱団の用語な気がしてきた。

なにはともあれ、宜しければ最後までおつきあい下さい。気合入って長い文章になっちゃったけど……。

I can tell the world

I can tell the world, yes, about this, I can tell the nations, yes, that I'm blessed. I can tell the world, yes, about this, I can tell the nations, yes, that I'm blessed. I can tell the world, yes, about this, I can tell the nations, yes, that I'm blessed. Yes, I can tell the world, yes, about this,I can tell the nations, yes, that I'm blessed. Tell 'em what my Lord has done, Tell 'em that the conqueror has come, And he brought joy, joy, joy to my soul.My Lord done just what he said. Yes He did, Oh Lord, yes He did. He healed the sick and He raised the dead. Yes He did, Oh Lord, yes He did. He lifted me when I was down. Yes He did, Oh Lord, yes He did. He placed my feet on solid ground. Yes He did, Oh Lord, yes He did.I can tell the nations, yes, that I'm blessed. Tell 'em what my Lord has done, Tell 'em that the conqueror has come, And he brought joy, joy, That mornin', Hallelujah! That mornin', Hallelujah! Oh Lord, He brought joy that mornin', When He saved me. Joy that mornin', When He blessed me. I'll tell it, How He brought this joy to my soul.   世界に述べ伝えよう、そう、このことを 国々に述べ伝えよう、そう、この祝福を世界に述べ伝えよう、そう、このことを国々に述べ伝えよう、そう、この祝福を世界に述べ伝えよう、そう、このことを国々に述べ伝えよう、そう、この祝福を世界に述べ伝えよう、そう、このことを国々に述べ伝えよう、そう、この祝福を 主が成し遂げられたことを 勝利がもたらされたことを そして、主が私の魂にあふれる喜びをくださったことを我が主はまさに言われたことを成し遂げられた まことに、主よ、まことに 主は病を癒し、それゆえに死にて葬られた まことに、主よ、まことに 主は私が落ち込んだときに持ち上げてくださる まことに、主よ、まことに 主は私を強靭な土台に立たせてくれる まことに、主よ、まことに国々に述べ伝えよう、そう、この祝福を 主が成し遂げられたことを 勝利がもたらされたことを そして、主が私の魂にあふれる喜びをくださったことを あの朝にくださった、ハレルヤ! あの朝にくださった、ハレルヤ! あの朝、主が私に喜びをくださった それは私が救われたとき 主が私に喜びをくださった それは私が祝福されたとき 私は述べ伝えよう 主が私の魂に喜びをくださったことを (私訳)

はじめに

この曲はコラムを書くのが難しい……。というのは、歌詞が聖書に基づくストーリーでなくて、個人の内面・気持ちを歌う曲は、より多様な解釈ができるのですよね。解釈というか、感じるものは人それぞれ、と言ったほうが良いかもしれません。

I can tell the world

tell the worldは「公言する」という意味です。世界にむけて言おう、という文字通りのイメージから来ているのでしょうね。 この曲を一言で言えば、「世界のあらゆる人々に伝えたくなるほど、神の御業や恵みは素晴らしい!」と喜びを大きく歌い上げている、のだと感じます。 (一応キリスト者として)個人的には、Oh Lord, He brought joy / that mornin', When He saved me / Joy that mornin', When He blessed me. はもう震えるほどの共感と感動があります。

でも正直言って、クリスチャンでも「"主の救い"や"主の祝福"が与えられたな〜」と実感する機会、そんな頻繁には無いのですよ(私は違う!という敬虔なクリスチャンの方すみません)。ぶっちゃけ、意識しないと日々生きる時間の中で神様のことを忘れていってしまいます。 余談ですが、このように人と神との関係が絶たれることを、キリスト教では「罪」と言います。創世記でアダムとイブが神の言いつけを破って禁断の果実を食べる話は有名ですが、それに代表されるように、人は自らの知恵を過信し、結果神に背いてしまう(忘れてしまう)ときが多々あります。キリスト教信徒が教会で「神よ私の罪を認め懺悔します〜」なんて言うときは、自分の行き過ぎた誤ちを認め、謙虚に神様との関係を再び繋げるよう、祈っているのですね。

話が少し逸れました。僕が思うに、人は、嬉しい時、悲しい時、試される時、苦しい時、結果が残せた時、残せなかった時……といった何か特別なときに、神と向き合う時が与えらることが多いと思います。 そこで、謙虚に神に向き合い、神に祈り、神との繋がりを感じた時、言いも言われぬ感覚になることがあります。save(救い)bless(祝福)の言葉には、そういうスピリチュアルな、身が震える感覚を持たざるを得ないんです、僕は。

うーん、この感覚、文字で伝えるの難しい!(じたばた)

救い #とは

キリスト教の知識として、説明してみます。 一言で言えば「イエス・キリストによって、人と神が再び繋がること」です。

そもそもの話。はるか大昔、全知全能の神と人は調和の関係にありました。人は神を畏れ敬い、神は人に様々な恵みをもたらしてくれました。そもそも聖書的には、人類は神によって創られたのですから(アダムとイブね)。

しかし上記のアダムとイブが禁断の果実を食べたことに象徴されるように、いつしか人間は神に背くようになります。そうして怒った神は、人間との関係を断ち切ります(アダムとイブの楽園追放はそのメタファーです)。この「神との断絶」は聖書の物語の世界から現代に至るまで、ずっとそのままです。したがって、我々人間の願い、祈りは、決して神に聞き入れられることはない、というのがキリスト教の世界観です。

……んっ、おかしいぞ。じゃあなんでキリスト教徒は神に祈るのか?と思った人は鋭いですね。 実はここに一言補足があります。これこそがキリスト教で一番大切なことです。

それは、神の子イエス・キリストは、まさにそんな神と人との関係を繋いでくれる、唯一の存在だとおうことです。これが一番良く分かるのが、キリスト教の『お祈り』の言葉です。祈り方や言葉は人それぞれですが、誰が祈ろうが絶対にここだけは外せない「テンプレ」が一つだけあります。それが『エスキリストの名によって祈ります(we pray through the name of Jesus Christ)』という一言です。 人間の祈りはそのままでは神には聞き入られないので、イエスを通して(媒介して)祈るのです。イエスを通すことで、はじめて神に届くのですね。

したがって、キリスト教では、イエス・キリストが世に与えられたことが、(神様と人間が再び繋がれる)救い、と言われるのです。

これが、宗教的な「罪」と「救い」のイメージ。アンダスタン???

黒人奴隷と、キリスト教の救い

もう想像するしかないのですが、当事奴隷だった黒人はこのキリスト教の「救い」のストーリーを、どう自分のこととして感じたでしょうか。 神に絶交され、絶対的に絶望の状態にあった人類。そこに差し伸べられる、イエス・キリストの愛と救い。そのイメージが黒人にそれは大きな希望をもたらしたことを、私は鮮明にイメージできるのですが、みなさんはどうでしょうか。

conqueror(勝利) #とは

何通りかの解釈ができると思います。 単純に、上記の神の救いと恵みがもたらされることを勝利と言うこともできます。

もう一つ、イエスが死に打ち勝った(復活した)という意味もあります。キリスト教で「勝利」というと、具体的にこれを指すことがよくあります。 (人間にとって絶対的な)死にも打ち勝つほどだから、イエスは神なんだ、というイエスの神性の強調ですね。

余談ですが、キリスト教で一番(という言い方もどうかと思いますが)大切な行事は、クリスマスではなくイースターです。イエスの誕生より、死からの復活のほうが、宗教的には強調されます。

何が言いたいかというと、conquerorにはキリスト教では最上級のおめでたいイメージがあるということ!

Hallelujia #とは

もともとヘブライ語で「主をほめ讃えよ」の意味です。キリスト教のメジャーなお祈りです。何かとおめでたいときに唱えます。 日本語ではハ“レ”ルヤにアクセントですが、ヘブライ語でも英語でもハレ“ル”ヤにアクセントです。楽譜のリズムもこのアクセントに合っていますね。

soul(魂) #とは

……なんでしょう?これも色々な解釈ができてしまうよー。

とりま、soulを辞書で引くと、だいたい下記の意味が載っていますね。 1.魂・霊魂(肉体と対になる、実態のない精神的なもの) 2.心、精神 3.生命(いのち) (番外:黒人アメリカ人の文化や民族的な誇り、という意味もあります)

ちなみに、英語版の聖書のsoulという言葉は、新約聖書の原典であるギリシャ語では「プシケー」と言います。高校の倫理で出てきたなあ。これも、日本語では「魂」と訳されることが多いですね。

ちなみに、信頼できる本格オンライン語源辞書Online Etymology Dictionary:によれば、soulは、 「完全かつ実体的なものと信じられているものであり、それ自身が生き、感じ、考え、意思を持つもの(→日本語でいう魂の意味に近い)」 「人の精神的・感情的側面。生き生きとさせるもの。生命。生命体。」 と説明されています。

この歌詞においてどれか一つの言葉が正解というわけではないので、幅を利かせてイメージで捉えておきたいものです。

僕は、joy to my soul というと、いのちが喜びにあふれて生き生きとする様をイメージします。

あーどこまで伝わるんだろう、この説明で。

最後に

上記の「喜び」は、単なる嬉しいといった感情ではなく、前までのSpiritualsで歌ってきた「解放」「自由」「神の救い」「恵み」といったものに結びついた喜びです。 もうこのレベルの概念は、言葉で共有するのに限界を感じます。

てゆうかですね。言葉でこの世のあらゆるものを共有できる世界ならば、音楽なんていらないんですよ

音楽には言葉の限界を超えて伝わる、共有される何かがあります。もうここから先は、音楽を作る中で、その何かを共有し、感じられたらいいですね。(なんだこの魔方陣グルグルのギップルが出てきそうなセリフ・・・)

あっ、出てきちゃった。(……元ネタ分からん人すみません)

ここでひらめいた。ソウルフルな音楽とか言うじゃないですか。使うかどうかは別にして、なんとなくどんな意味かイメージできるでしょ。 この曲のsoulはこの意味に近い気がしますね。

……長文お読みいただきありがとうございました。m( )m