三味線のもとになったのは、中国の三弦(サンシエン)につながる楽器です。琉球で三線(さんしん)として受け継がれ、16世紀ごろに日本本土へ伝わったとされています。その後、弾き方や形が変わり、歌や語りを支える三味線になっていきました。
つまり、三味線の歴史には「楽器が海を渡ったこと」と「伝わった先で変化したこと」の両方があります。一つの発明年だけを探すより、この二つを分けて見ると、今の楽器へつながる道筋が分かります。
中国の三弦から、琉球の三線へ
最初の段階は、中国から琉球への伝来です。三本の弦を持つ楽器が琉球で改良され、三線へつながりました。東京藝術大学の展示解説は、中国福建から琉球へもたらされた時期を14〜15世紀としています。日本芸術文化振興会の歴史解説では15世紀です。到来を一つの年に絞るのではなく、この時期に琉球へ伝わったという幅で捉えるのがよいでしょう。
ここで中国の三弦、琉球の三線、本土の三味線と名前を分けるのは、同じ楽器の呼び名を並べるためではありません。どの地域で受け継がれ、形や演奏が変わったかを見失わないためです。ただし、日本の三味線も「三絃」と呼ばれます。地唄の譜面などにある三絃を、中国の楽器だと読み違えないよう、音楽や地域と合わせて見てください。
琉球から本土へは、16世紀ごろ
次の段階が、琉球から日本本土への伝来です。伝来地としてよく挙げられるのは堺です。琉球との貿易に関わった港町であり、楽器が伝わる経路も、人や物の往来と結びつけて説明されています。
年代には資料による幅があります。東京藝術大学の展示解説は永禄年間(1558〜1570)を通説として紹介しています。一方、日本芸術文化振興会の歴史解説は16世紀後半、三味線音楽の解説は16世紀中期ころとしています。近い時期を指しますが、表現を一つの年に置き換えることはできません。
短く説明するなら、「中国に起源を持つ楽器が琉球を経て、16世紀ごろに本土へ伝わったとされる」とすると、二段階の流れを示せます。永禄年間まで絞って説明する場合は、どの資料でそう述べられているかも添えると、年代の意味が伝わります。
伝わった楽器は、弾き方と形を変えていった
本土に伝わった楽器は、琵琶法師たちが演奏するようになったと説明されています。指先にはめる爪で弾く三線に対し、本土では手に持つ撥を使うようになり、楽器の形や大きさも変わっていきました。三本の弦というつながりを保ちながら、音を出す道具や楽器のつくりが変化したのです。
胴に張る材料にも違いがあります。三弦や三線の説明では蛇皮が挙げられるのに対し、本土の三味線では猫や犬の皮が用いられてきました。ただし、この違いから「いつ、誰が皮を変えたか」まで決まるわけではありません。形や素材の変化を、一人が一度に完成させた発明としてまとめないことが大切です。
初めは流行していた歌の伴奏に使われ、やがて三味線のための歌曲が作られ、物語を語る音楽にも取り入れられました。伝来は楽器の歴史の出発点の一つですが、三味線らしい音楽は、それを使う人と演奏の場の中で育っていきました。
歌、語り、芝居へと広がった三味線
三味線が活躍したのは、劇場だけではありません。家庭や座敷のような小さな空間でも演奏され、上方では地唄が発展しました。地唄では弾きながら歌うほか、三絃同士や箏、胡弓などとの合奏も行われます。声と一つの楽器だけで完結せず、ほかの楽器と一緒に演奏する音楽も育ちました。
劇場では、人形芝居や歌舞伎と結びつきます。義太夫節では太夫の語りと三味線が物語を進め、長唄では唄方と三味線方が分かれて演奏します。同じ三本の糸を持つ楽器でも、物語を表す音、舞踊に関わる音、歌と重なる音など、求められる役割は異なります。
現在、棹の太さや撥、駒の形が一種類ではないのも、こうした音楽の多様さと関わっています。今の津軽三味線や長唄三味線の姿を、そのまま伝来直後の姿と考えることはできません。来た道を知るときは、伝わった後にも楽器が変わり続けたことを覚えておきましょう。
1664年の本は、三味線の由来をどう伝えたか
三味線の由来を伝える古い本に、寛文4年(1664)刊の『糸竹初心集』があります。江戸東京博物館が公開する後巻の画像では、冒頭に由来の文章が置かれ、その後に調弦の説明が続きます。由来の部分には「永禄」「石村検校」「琉球」といった語が見えます。
この本から分かるのは、17世紀に三味線の由来がどう語られていたかです。伝来の時期とされる16世紀より後に刊行されているため、楽器が到着した現場の記録と同じようには使えません。「当時の本にこの話がある」ことと、「その人物が実際に一人で三味線を発明した」ことには、確かめるべき段階が残っています。
1562年という年を挙げる説明にも、研究上の検討があります。馬淵卯三郎の『糸竹初心集の研究』の公開要旨は、由来の物語を後世の記述が補強していく過程を問題にしています。後から詳しい説明が増えても、元の話の事実性が自動的に証明されるわけではない、という論点です。この研究は、代わりの伝来年を確定したものではありません。
起源を調べるときに押さえたいこと
三味線の来た道は、中国から琉球へ、琉球から本土へという二段階で整理できます。本土では撥の使用や楽器の変化が起こり、さらに歌や語り、芝居、民謡など、さまざまな音楽へ広がりました。「どこから来たか」とともに、「伝わった後にどう使われたか」を見ると、現在の多様な三味線へつながります。
さらに調べたいときは、年表の一行だけでなく、その年代を説明する本文を読んでみてください。記録された出来事の年代と、その本が書かれた年代を分けると、確かなことと、まだ検討されていることを区別しやすくなります。
参考資料
伝来と広がり:日本芸術文化振興会 三味線の伝来と三味線音楽の広がり・三味線音楽、東京藝術大学 邦楽器の展示解説、洗足学園音楽大学 三味線。
古い由来の記録とその検討:江戸東京博物館 糸竹初心集 後、馬淵卯三郎 糸竹初心集の研究の要旨。追加の文献を探すには、沖縄県立図書館の伝来に関する調査回答が書名と該当ページを紹介しています。