← ガイド一覧へ戻る

三味線の楽譜はどう生まれた?口伝と記譜の歴史

三味線の楽譜は、一人が一度に作った共通の仕組みではありません。声で音を覚える方法、弾く位置を文字や数字で残す方法、音の高さや長さを記す方法が、音楽や学び方に応じて使われてきました。譜面が普及した後も、師匠の演奏を聴き、口三味線を唱えて覚える方法は併用されています。

ここでは、古い本の画像、研究者による古譜の調査、出版社の発行記録から、その重なりをたどります。楽譜の読み方そのものより、「何を残すための譜だったか」「書かれた年は何の年か」に目を向けます。

口三味線は音色と弾き方を声で伝える

口三味線は、三味線の音を声に置き換えて唱える方法です。たとえば松永鉄九郎の解説では、一の糸を弾いた音を「ドン」、撥ですくった音を「ロン」と表します。同じ高さの音でも、弾き方が違えば呼び分けることがあるのです。

このため、口三味線には音色や奏法を覚える働きがあります。音高だけを数字へ置き換えたものとは役割が違います。ただし、唱え方には演奏者による違いがあり、すべての三味線音楽が同じ言葉を使うわけではありません。

江戸時代にも弾き方を書き残す工夫があった

寛文4年(1664)刊の『糸竹初心集』後巻には、三味線の調弦や弾き方を扱う文章があります。江戸東京博物館の公開画像では、「一の糸」「二の糸」「三の糸」と区切った説明も確認できます。口伝が重んじられた時代にも、知識を本にして伝える工夫があったことを示す資料です。

18世紀の古譜を調べると、口三味線と文字による記録はさらに近づきます。井口はる菜の研究は、柳川流三味線組歌の明和本『五線録』を1769年の写本、寛政本を1793年の写本として扱い、口三味線を含む古譜を比較しています。ここで示される年は写本の年であり、曲の作曲年や記譜法の発明年ではありません。

古譜が残っていれば、失われた曲を簡単に弾けるわけでもありません。同研究では、現行曲の奏法や記譜法を参考にし、複数の古譜を読み比べて復原に取り組んでいます。紙の記録に加え、伝承されている演奏の知識が必要になることが分かります。

近代には五線譜による記録も進められた

明治期には、従来の音楽を五線譜で記録する活動が行われます。1907年には東京音楽学校に邦楽調査掛が設置され、長唄や常磐津節なども調査対象となりました。前原恵美の研究は、当時の日誌や現存する楽譜を用いて、常磐津節の五線譜化の過程を調べています。

三味線音楽を別の記号体系へ書き移すには、音を並べるだけでなく、声と三味線の関係や、時間の進み方をどう表すかという問題があります。記録のための採譜、演奏者が使う稽古本、初めて習う人の手引きは、必ずしも同じ目的の出版物ではありません。

1924年の長唄稽古本は数字譜と口三味線を併記する

研精会譜は、考案者の吉住小十郎の名から「小十郎譜」とも呼ばれます。長唄研精会とその系統で使われ、音の関係を数字で表す譜として受け継がれました。会の設立年と譜の考案年、個々の譜本の発行年は別々に確認する必要があります。

実物を見られる例に、国立国会図書館が公開する『長唄新稽古本 第2編 吾妻八景』があります。表紙は吉住小十郎編と記し、奥付は大正13年(1924)2月25日発行です。凡例と本文には、詞章、歌の節を示す数字、三味線の譜、口三味線を合わせて載せています。数字譜を刊行する時代にも、口三味線は紙の上に残っていたのです。

凡例は、ある程度の独習ができるとしながら、なるべく専門の師匠について習うことを勧めています。稽古の際には譜を記憶の助けにし、予習にも使うという説明です。譜面を用いることと、人から演奏を習うことを、対立する方法としては扱っていません。

1922年に始まる文化譜の出版とその後の改訂

文化譜は、四世杵屋彌七、のちの杵家彌七が考案した譜です。前原恵美の研究は1922年の考案と説明し、初めは縦書きで、後に横書きのものが現れたとしています。現在よく見る横三本線の形を、そのまま最初の版の姿だと考えないことが大切です。

杵家彌七出版の沿革も、四世が三味線譜を発行するため大正11年(1922)に創立したと記しています。その後は発行元の変更や改訂があり、2014年には六世改訂のA4判の譜面の新規作成・発行が杵家派に移管されました。

文化譜という名前が同じでも、古い版と現在の版を区別する必要があります。考案者、採譜・編著者、改訂者、発行者は、すべて同じ役割ではありません。古典曲の譜面でも、奥付に新しい年があれば、その版を発行した年として読んでください。

青柳譜と家庭式譜は資料の年の意味に注意する

青柳譜は、杵屋弥之介の名にちなむ「弥之介譜」としても知られます。研精会譜と同じく階名を数字で示しながら、糸の区別の仕方に違いがあります。名称が二つあっても、別々の二種類の譜だとは限りません。

たとえばマザーアースの『喜撰』には、青柳式楽譜として「初版2025年9月15日」と記されています。同時に、旧邦楽社の古典楽譜を引き継ぎ、表紙を新しくしたとの説明があります。2025年はこの出版社の刊行物に示された初版年であり、青柳譜が初めて考案された年ではありません。

家庭式譜につながる縦書ワク式の歴史では、箏の楽譜との関わりにも注意します。大日本家庭音楽会の沿革は、坂本五郎による1907年の琴譜の考案、1910年の出版開始を記し、1919年には三味線を含む通信教育を展開したとしています。しかし、この記録だけから、家庭式三味線譜そのものの考案年を1907年と決めることはできません。

青柳譜や家庭式三味線譜の初出をさらに絞るには、初期の刊行物の奥付、序文、凡例を確認する必要があります。後年の改訂譜や出版社の創業年から、空いている年を埋めることは避けます。

記録を残すことと演奏を受け継ぐこと

楽譜には、習ったことを思い出す、離れた場所で学ぶ、新しい作品を共有する、失われた演奏を研究するなどの役割があります。どの役割に重きを置くかで、書き込む内容や使い方も変わります。三味線の譜式が一つに統一されなかった歴史は、こうした目的の違いと一緒に見ると理解しやすくなります。

手元の譜を調べるときは、まず譜式名、編著者、版、発行年を控えます。次に凡例を読み、その譜が何を細かく示し、何を演奏の見本や指導に委ねているかを確かめます。曲が生まれた時期、記譜法が考案された時期、手元の一冊が出版された時期を分けると、古い音楽と新しい譜面の関係が見えてきます。

参考資料

口三味線と譜式の名称は、松永鉄九郎の三味線のしおり。近世の資料は江戸東京博物館の糸竹初心集 後、井口はる菜の三味線組歌の楽譜資料の研究を参照しています。

近代の採譜と記譜法は前原恵美の邦楽調査掛による常磐津節五線譜化の考察。1924年の稽古本は国立国会図書館の吾妻八景で、凡例は2〜3コマ、奥付は11コマにあります。

出版史と版の情報は、杵家彌七出版、大日本家庭音楽会の沿革、マザーアース 喜撰に基づきます。出版社の沿革は、その出版社の説明として読み、各譜式の最初の版と区別しています。